今のように構造改革以外に何ものもないと言われると、構造改革は一種の自己否定だから、ますます人々はしょんぼりしてしまうからである。
今まで自分たちが一○年、一一○年、三○年やってきたことが、あたかも全部が間違いだったように言われたら、誰だってやる気がなくなるだろう。
しかし、みんなが正しい行動をとっても、そこで合成の誤謬が発生して経済が悪化することは充分ありうることである。
そのようなことが起きうるからこそ、経済学にはミクロとマクロの2つがあるわけで、今の日本経済はまさにその二つの視点の両方で見なければ理解できないところに来ているのである。
この本の特に最初の部分では、今のK政権には非常に厳しい意見を出している。
しかし、それは決してK政権に反対しているのではなくて、K首相にしかできない本当の意味での構造改革をやり遂げるには、ある程度景気を維持しなければならず、それには現実的なマクロ経済政策が不可欠であると思うからである。
実際に一九九七年のH政権は六大改革という大変高い理想を掲げたにもかかわらず、非現実的な時期に財政再建というマクロ経済政策を推し進めようとしたため景気が崩壊し、内閣自体が撃沈されてしまった。
おそらくどの国でも、人々の生活基盤が本当にあやしくなってきたら、のんびり構造改革などと言う人はいなくなるだろう。
その意味で、K政権には間違った順番で政策のボタンを押してほしくないのである。
その一方で、私のK政権に対する期待はおそらく誰よりも高いのではないか。
K首相にしかできないことはたくさんあるし、またそれをやらないと中長期的な日本経済の活性化はなかなか難しいと思うからである。
K政権や最近のマスコミの論調は、とにかく構造改革というレッテルをはれば「正義の味方」になったような雰囲気になっているが、短期間で結果が出てしまうマクロ経済政策と、開花するまで五〜一五年かかる構造改革は、はっきり分けて考える必要があるのである。
したがって、本書の前半は何が本当の構造改革で、何がバブル崩壊の処理を含めたマクロ経済政策であるかを説いてみた。
その分類作業のなかで、本書が特に重視したのが不良債権問題である。
これは私自身がずいぶん長い間かかわってきた問題でもあるし、今の状況と自分がニューヨーク連銀にいた時代に発生した第一次中南米債務危機が非常に多くの類似点を持っているので、ここは特別にページ数を割いた。
この一九八二年に起こった中南米債務危機が日本の参考になるのであって、通常言われている一九八九年のS&Lの問題は参考にならないのである。
いくつかの点については前著でも触れたが、今回はもっと踏み込んだ形で警告を発したつもりである。
財政赤字の問題では、赤字が本当に世代間所得移転をもたらすかどうかという点について、いくつか新しい考えをまとめてみた。
特に、後世に残すのは単にモノだけでなく、健全な経済を残す義務もあるのだという点を強調した。
また財政に関して、私は、本当に心配しなければいけないのは、金利が上がることではなくて上がらないことだと思う。
企業のバランスシートが修復されても、企業の資金需要が家計の貯蓄額に対して充分回復せず、いつになってもデフレギャップが残ってしまうシナリオである。
それに対して、パラダイムシフトと言われるような日本人のマインドの大きな変化も考えなければいけないのではないか。
この点については、元Nの調査統計局長であったM氏の考え方を紹介し、またM氏自身にも第7章の対談で意見を述べていただいた。
ここで我々が特に強調したかったのは、投資機会がある時は貯蓄は美徳だが、そうでない時は悪徳なのだという点である。
何十年に一回あるかないかというバランスシート不況に陥った日本で、景気対策をやった政治家たちは、当時はそれさえやれば景気はすぐ自律回復に入ると公約したが、何回やっても自律回復にはならなかったために、大きな政治不信が国民の間で広がってしまった。
しかし、景気がすぐに自律回復に入らなかったのは、資産価格の下落があまりにも大きく、そのダメージを企業の借金返済努力で埋めるには、長い時間を必要としたからである。
しかも、財政が下支えしなければもっとひどい状況になっていただろう。
すぐに自律回復に入るという公約は間違っていたが、景気対策自体は正しかったのである。
実際にタイ、台湾、アメリカなどがこれから同じような経験をするなかで、これまで日本がやってきたことが経済学的に見てもいかに重要な実験であったかということが、再評価される日は近い。
しかし、そのような日が来るまでに日本自体が間違ったボタンを押して、これまでの成果を放棄してしまっては元も子もない。
構造改革とマクロ経済政策のボタンを正しい順番で押してほしい、という願いで書いたのが本書である。
だが、あとの二つの「財政再建」と「不良債権処理」は構造改革というよりも(バブル崩壊の)戦後処理であり、これは決して急ぐべきではない。
急ぐと経済全体がさらに悪化するだけでなく、政府の財政赤字も、銀行の不良債権も今よりずっと増えてしまうからである。
なぜそういう結論になるのか。
日本経済に根深い構造的な問題があることは言うまでもない。
世界最悪とも言える非効率な土地の利用がもたらす高コスト体質や、多くの輸入障壁のため、貿易黒字がすぐ円高にはねかえりやすい構造などは早急に是正されるべきである。
しかし、それらが一九九○年代になって、突然のごとく表面化し、それまでの四○年間あれだけ元気だった日本経済をたちまち失墜させ思う。
「聖域なき構造改革」を掲げるK内閣は、改革の中身として「規制緩和」「財政再建」「不良債権処理」の三つの大きな柱を打ち上げている。
ここで本書の結論を先に申し上げれば、最初の「規制緩和」は、民営化や行政改革を含む本当の意味での構造改革の部分であるから、これについては全速力、全力投球でやってほしいと。
なぜ全速力、全力投球でやらなければならないかという理由については、第6章で述べてしまったのかといえば、決してそうではないのである。
これらの構造問題の多くは、二○年も三○年も前からずっと存在していたからである。
この一○年間で、日本経済を大きく減速させ、力を失わせてしまった原因は、まったく別のところにある。
それはひとことで言えば、「バランスシート不況」という何十年に一回起きるか起きないかといわれる極めて特殊な不況である。
日本経済の基本的な構造を見ると、とくに戦後の日本経済は、二つの大きな車輪があって、その両輪が実にうまいタイミングで回ってきたと言える。
少なくとも一九八九年の最後の一日、バブル崩壊の日までの日本経済はそうだった。
日本経済を動かしてきた二つの車輪の一つは、日本人の家計に占める貯蓄率の高さである。
日本人は貯蓄が大好きで、景気が良くても悪くても一生懸命貯蓄をしてきた。
家計が自分たちの所得を自ら使わず、そのかなりの部分を貯蓄に回してきたということは、彼らはその分、資金を金融機関や市場を介して企業に供給してきたことに他ならない。
そして、もう一つの車輪は企業の高投資である。
一九八○年代までの日本企業の投資比率や借金依存度は世界的に見ても大変高かった。
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